2019年6月18日 (火)

あい―と試食会その2

こんにちは、はなこですヽ(´▽`) 

早速ですが、前回の続きです。

今回のあい―と試食会の参加者は、ST3名、PT1名でした。

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今回試食したのは、4品。

・たぬきうどん

・ホタテと野菜のあんかけ

・さばの味噌煮

・すき焼き風寄せ煮

画像を見ていただくとお分かりいただけると思いますが、おいしそうですね~

普通に食卓に上がりそうな形状ですね。

先にも述べましたが、あい―との特徴は形はそのままに驚くほどやわらかいこと。

一昨年にも同様の試食会をしておりますので、2017年11月4日の投稿をご覧くださいね。

 

さて、肝心のうどんですが。

感想は分かりやすく箇条書きにいたしましょう。

良い点とそうでない点両方を上げています。

これではなこがあいーとの回し者でないことがわかるでしょう(^^♪

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<良い点>

・出汁が効いていて味付けがとても上品

 美味しいです!

・揚げ玉ものせてあり細やかな配慮がみえる

 何もないと寂しいですからね。 それに揚げ玉もむせにくいので安心。

・麺を細く短めにしてある

 摂食・嚥下障害者にも食べやすく工夫されています。

 

<どうかなあ…と思う点>悪い点、とは言い切れないので…

・温め時間が長すぎる

 20秒ずつ何回か加熱するよう書かれていますが、何度やってもいつまでも凍っています。

 はっきり言って気が遠くなりかけました…ご飯にありつけないと思いました…

 この手のものをワット数を上げて短時間加熱したらいいのでは?と考えましたが、

 焦げたり硬くなったりすることがあるそう。経験者がいた…

・量が少なめ

 あいーとは基本的に量は控えめです。

 高齢者ならば少量でも足りるでしょうが、摂食・嚥下障害はどの世代にも起こりうる障害です。

 働き盛りの方も当然いるわけで、もう少し多めでも良かったかなと思いました。

・ちょっと箸で持ちにくい

 讃岐うどんのようなコシはもちろんありません。

 市販の棒うどんを長時間茹でたような、と言ったらあまりにも乱暴でしょうか。

 やわらかく、箸で取るとふわっとした頼りない感触。

 嚥下だけでなく上肢に麻痺がある方では箸では持てないのでは?

 自助具が必要かも。

・本当に舌でつぶせるだろうか

 ここが一番気になったのですが、軽く押しただけではまだその形のまま口の中に残っています。

 意識して咀嚼せずに舌でつぶそうと頑張ってみましたが、結構力が必要だと思いました。

 そのまま飲み込んでも大丈夫そうではあるけれど、咽頭期の障害がある方だとちょっと危ないかな。

 しかしこれは意見が分かれるところで、対象者によってはとてもうまくいくかもしれません。

 

独断に基づくレポートになってしまいました。

あいーとシリーズは少々単価が高いので、購入をためらう方も多いようです。

お誕生日やお正月など、何か特別な日に一品二品加えてみるのも良さそうですね。

味は本当に美味しいですよ!(大塚製薬さん何かくださいヽ(´▽`)←やっぱり回し者かよ )

当事者の方の摂食・嚥下のレベルにあっているか迷う時には、

是非お近くの言語聴覚士に相談なさってみてくださいね。

 

 

 

2019年6月17日 (月)

あいーと試食会 その1

こんにちは、はなこですヽ(´▽`) 

在宅で過ごす摂食・嚥下障害当事者とそのご家族にとって、

毎日何を食べるか、どう作るかというのは非常に重大な問題です。

刻んだりペーストにしたりふやかしたりゼラチンを加えたり、

一家の主婦は料理だけで疲弊してしまいます。

以前お伺いしたあるご家庭では、ご家族が皆様とても介護に熱心であり、

総出で当事者の方をお世話していらっしゃいましたが

その熱意にこちらがタジタジとなりました。

まず、1回の食事の品数は4皿以上、デザート付き。

朝食をAさんが食べさせている間にBさんが昼食を作り始め、

昼食をAさんが食べさせている間にBさんが夕食を作り始め、

車を持っているCさんが仕事の合間を縫って買い出しにでかけ、

Aさんは掃除洗濯オムツ交換その他の家事を引き受け、

夕食をAさんが食べさせている間にBさんは翌朝の食事を作り始めるという、

聞いているだけで倒れそうな生活を送っていらっしゃいました。

特にBさんの負担たるや、1食に数時間をかけて調理し、

できたてを美しい器に盛り付けて提供なさっており、

丸一日料理をしていて他のことは何も出来ないと思われ、心配になりました。

そのご家庭ではそれを一種の喜びと感じていらっしゃるような雰囲気があったので、

疲弊することなく、何とか成り立っていたのでしょう。

でも、真似できます??

真似しないほうがいいです、倒れます。

「家で看ている以上、自分が頑張らなくては!料理は手作りでなくては!」

そう思うご家族は結構多いですね。

でも、長く家族みんなが心身ともにゆとりを持って生活できるよう、

便利なものを大いに活用していただきたいです。

すぐに提供できるレトルトの介護食や、ある程度嚥下障害に対応した宅食も増えてきています。

 

最近では色々なメーカーが摂食回復支援食を製造販売するようになり、

利用する側もだいぶ選択肢が広がってきています。

その中でも名を知られるようになってきたのが、

イーエヌ大塚製薬株式会社の「あいーと」ではないでしょうか。

メニューが豊富な上に、その柔らかさには驚かされます。

凍結含浸法という手間のかかる特殊な調理法を用い、

見た目の形状はそのままに軽く押しただけで容易につぶすことができる、

咀嚼や嚥下に困難のある方に適した形態になっています。

先日その「あいーと」にうどんが加わったとのことで、職場の有志と試食会を行いました。

詳報は次回の記事で!ヽ(´▽`) 

 

2019年5月17日 (金)

麦ばあの島

こんにちは、はなこですヽ(´▽`) 

 

今日は少し趣向を変えて、本のご紹介です。

えっ?

ネタがないわけじゃないよ!

たぶん。

 

古林 海月著 「麦ばあの島」

2017年にすいれん舎から刊行された、ハンセン病を取り扱った漫画です。

発刊にあたり作成されたパンフレットから転載してご紹介します。

 

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(以下引用)

刊行にあたって

INTRODUCTION

ハンセン病問題は1996年の「らい予防法」廃止以後のいまもなお、日本社会における重大な人権侵害の事例として注目を集めている。そうした社会の関心と相まって、教育現場ではビジュアルなものでハンセン病問題を学べる教材が要望されている。

本書はプロの漫画家によるハンセン病問題を主題とした書き下ろし一大長編コミックである。

小学生から手に取ることができ、大人にも読みごたえのある作品となっている。

主人公の置かれた境遇に感情移入して読み進めるうちに、ハンセン病をとりまく様々な事象を学べる構成になっている。多くの読者の手に渡ることを願って本書を刊行する。

 

ストーリー

1996年夏、姫路--望まぬ妊娠をした短大生・小林聡子は姉に付き添われ中絶した帰路、上原麦という老女と知り合った。小さなヘアサロンを開いている麦はかつて堕胎した経験があるようで、水子地蔵を大事にしていた。投げやりになっていた聡子は、何十年も前に亡くした子どもにこだわる麦に反発をおぼえながらも彼女の身の上話を聞くようになる。

麦はかつて、岡山の小島にある療養所に隔離されていた過去があった。そこで麦はいったいどのような経験をして生きて来たのか--。麦、その友人の恵子らとの交流を重ねてゆくうちに、聡子は自身の生き方を見つめなおしてゆくようになる。外島保養院、邑久光明園というハンセン病療養所を舞台に、戦前、戦後を生きた女性たちの人生の物語を通じて、ハンセン病問題に迫る渾身の書き下ろしコミック。全27話、800ページの大作。

 

著者

古林海月 ふるばやし かいげつ

鹿児島県生まれ。2003年「夏に降る雪」で『イブニング』からデビュー。

著作に『米吐き娘』シリーズ、『わたし、公僕でがんばってました。』(いずれもKindle版)などがある。公務員時代に仕事でハンセン病療養所・邑久光明園を訪問。その後も入所者・退所者らと交流を重ねながら本作の執筆をつづけてきた。

(引用ここまで)

 

作者の古林 海月さんは、はなこの高校時代からの友人です。

当時からとても想像力豊かで文章の上手い人でした。

おっとりとして動物と植物をこよなく愛する優しい女性です。

大学時代から漫画を描き始め、卒業後彼女は兵庫県に就職し結婚、

公務員生活に終止符を打ち、漫画一本でこつこつ頑張っていました。

本作は構想12年。

文化人類学を専攻していた彼女は、そこで鍛えたフィールドワーク能力を駆使し、

ハンセン病患者らと交流し話をこまめに聞き、丹念に物語を紡いでいきました。

出版にこぎつけるまでは担当さんが変わったり色々あったようでしたが、

苦労が実ってとても濃い内容のものに仕上がっています。

出版にあたってはテレビなど色々なメディアで取り上げられ、新聞でも紹介されており、

好評を博しています。

小学生でも手に取れるような本、学校図書として推薦できるような本で、

4巻、ハードカバー。

図書館・団体向けの値段設定になっており、個人で買うにはちょっとお高いのですが、

面白いので興味のある方にはぜひ読んでいただきたいです。

図書館に購入依頼をかけるという手もありますよ。

 

 

 

2019年5月 9日 (木)

言葉のない世界の生きづらさ~超皮質性失語のEさんの場合②

こんにちは、はなこですヽ(´▽`) 

このブログ、更新速度がちんたらしているのであまりアクセスは多くないのですが、

それでも9900を超え、

「おお、もうすぐ10000!キリ番踏んだ人運がいいぞー((´∀`))誰かな?コメント寄せてもらおうかな?」

なんて思っていたら、なんと10000踏んだのは自分でした…

ラッキー!✨✨

…と言ってもいいものか…

複雑な気分だが一応喜んでおこう。

ばんざーい。

コメント?

あー…

うれしいっす。あざーっす。

 

さて、真面目にいきましょうかね。

先日の続きです。

 

Eさん(60代女性)は軽い麻痺こそ残ったものの歩行は自立していました。

しかし言語障害は重篤で高次脳機能障害も合併しており、

コミュニケーションを含めたADLの低下は誰の目から見ても明らかでした。

発話は単語レベルで音韻性錯語を伴う復唱のみが保たれ、

自発話・音読では発話開始困難があり、

音韻性錯語を含むエコラリアと補完現象が認められました。

理解力は単語レベルで浮動性があり、今目の前で起きていることの状況判断のみ。

指示入力は書字・描画・ジェスチャー等あらゆる手段を用いて行いました。

タイプ分類は、超皮質性の運動失語(TCMA)か混合型超皮質性失語(MTCA)か、

どちらかといったところ。

しかしタイプ分類よりも難しかったのはリハビリの介入そのものでした。

理解不良であるためすべての課題が難しく、代用手段として提案するものも使えず、

レクリエーション的な内容に変えても理解できなければ楽しめないわけで、

Eさんは次第に陰鬱な表情に変わっていきました。

それだけでなく重篤な高次脳機能障害のため、危険行為が度々見られました。

櫛を歯ブラシのように使ったり、金槌で頭を叩こうとしたり…

日常生活上ある程度の見守りが必要な状態であったため、

ご本人のストレスは高まるばかりでした。

 

ある夜、深夜の巡回の看護師がEさんの病室にやってきた時、

Eさんがベッドにいないことに気づきました。

トイレかな…と思い部屋を出ようとした時、

カーテンが揺れていたので開いている窓を閉めようと近づくと、

窓の外になんとEさんがいたのです。

その看護師は腰が抜けるほど驚きました。

そこは5階。

窓の下には人がひとり立てるくらいの狭いスペースがあり、

どうやってか窓を乗り越えて、Eさんはそこに出てしまったのです。

Eさんはあっちへ行けと言わんばかりに手で追い払うような仕草をして、

じっとはるか下の地面を見ていたと言います。

看護師は「飛び降りてしまう!止めないと!」とパニックになりながらも、

大声を出したら余計興奮させてしまうと思い、

深呼吸をして穏やかに話しかけました。

 

しかし、理解障害が重篤なのでこちらの言うことも分かってもらえず、

しかも聞こえているのかさえ怪しい状況でした。

それでも看護師は辛抱強く、優しく声をかけ続けたのです。

時々「そこは寒いよ、中へ入ろう」とか「暖かいベッドで休みましょう」とか、

中へ戻るよう促す言葉をはさみながら。

すると疲れてきたのかEさんは自分から部屋に戻ってきたそうです。

その後看護師は温かいお茶を飲ませ、入眠するまで側についていたとのこと。

 

Eさんのそのような行動は後にも先にもその一回きりで、

その数日前にも夜間ふらふらと徘徊することがあり、

当時使い始めた薬の副作用でせん妄状態であったと結論付けられました。

 

ただ、せん妄であったのか思い詰めて自殺念慮が生じたのかは、

はっきりとは結論付けられないというのが正しいでしょう。

Eさんは自分の心の内を言語的に表現するすべを持ち合わせていません。

それを確認する手段も私たちは持ち合わせていませんでした。

Eさんが戻ってきてくれたのはラッキーだったのだと思います。

よく顔を知っている看護師がそこで踏ん張ったから、そのラッキーは起きたのでしょう。

 

20年程前は入院期間ももっと長く、1ヶ所の病院で何ヶ月も過ごす方は多く、

そんな環境でゆっくりと信頼関係を構築していったものです。

しかし最近では入院期間は数週間程度で区切られ、

別の病院または病棟でさらに期間限定の入院生活を送る。

それはそれで利点があると思います。

しかし限られた状況しか理解できない方にとっては、

順応しにくく過ごし難い環境ではないかとも考えることがあります。

 

理解できないままに目まぐるしく環境が変化して、最終的に在宅に戻った時、

Eさんのような方はいったいどんな表情をしているのでしょうか。

 

 

(※言語症状以外は一部フェイクをまじえています)

2019年5月 2日 (木)

令和元年!

こんにちは、はなこですヽ(´▽`) 

新しい天皇陛下が即位され、元号が改まりました。

晴れて「令和」の時代がやってきましたね。

思えば昭和天皇崩御に伴う改元の時は、

喪に服しつつしめやかにことが進んでいたので、

今回のように明るい雰囲気で迎えられたことはとても良いですね。

 

…ん?

そのころ生まれていないスタッフもいるの…??

そうかーそんなに時間が経っているのね…

 

はなこの職場は連休中もみな普通に働いておりますので、

時折流れてくるニュースや町中の賑わいを見てその雰囲気を味わっています。

そして書類に日付を入れる時。

昨日「令和元年51日」と書いた時は不思議な気持ちになりました。

これから少しずつ実感していくのでしょうね。

 

令和の時代も引き続きよろしくお願い致します!

 

2019年4月29日 (月)

言葉のない世界の生きづらさ~超皮質性失語のEさんの場合①

こんにちは、はなこですヽ(´▽`) 

令和まで秒読みですね。

ゴールデンウィーク真っ最中ですが、皆様どのようにお過ごしでしょうか。

はなこは仕事ですよー

10連休?

何それ。食べられるの??

 

今日は超皮質性失語の話。

「超皮質性」とはどういう意味か、端的な表現を探したのですが見当たらず…

確か小嶋知幸先生が学術集会で触れていらっしゃった記憶があるのですが、

どこにメモしたか思い出せない…

著書にあるかもしれませんが手元にないので、分かり次第追記します。

昔はある先生から、

「我々が学んできた機能局在等の皮質の働きを超越した症状」

というニュアンスで聞いていた覚えがありますが、

研究が進み最近は違う定義がなされているようです。

 

では、超皮質性失語とはどんな症状なの?と思われるでしょう。

はなこ流に簡単に定義すると、

「受容面(理解)の障害は重篤な場合が多く、良くて短文レベル」

「表出面のうち、発話は復唱以外重度に障害され会話での実用性はない。

書字障害も重篤である」

という感じですかね。

書物によっては「復唱が良好」と書かれている場合もあるようですが、

これは「その患者の他の発話モダリティの障害と比較して」という文言が隠れていると考えます。

自発話・音読と比べたらマシというレベルのものです。

「復唱が良好」と言えば聞こえはいいですが、「病的な復唱」であるともいえます。

超皮質性失語の特徴を最もよく表す言葉は2つ。

「エコラリア」と「補完現象」です。

自分からはほぼ話し出せず、相手の言うことをオウム返しに反復するというのが、

このタイプの最も大きな特徴で、これをエコラリア(反響言語)と呼びます。

そして補完現象とは、相手の言葉を反復しつつそれに自分の言葉を付加して応答すること。

例えば、「今日の天気はどうですか?」と聞かれたら、

「今日の天気はどうですか…晴れ」

「ご家族からの差し入れは何でしたか」

→「ご家族からの差し入れは、食べ物です」

「家から病院までは車で何分かかるのですか」

→「家から病院までは車で、30分」

「遠いですね」

→「遠いですね…はい」

など、全てをオウム返しするのでなく語尾だけを変えることも多いです。

物を見て名前が全く言えなくても、

「犬も歩けば」→「棒に当たる」

「馬の耳に」→「念仏」等、

ことわざをすらすら補完できたりする、何とも不思議な失語型です。

うまくいけばこれで簡単な意思疎通ができる場面もあります。

しかし反復した言葉の意味を理解できていないケースもあり、

これは「理解無き復唱」と呼ばれます。

正しく「猫」と復唱できたにもかかわらず、

「ねこってなんですかね?」と首を傾げたり。

きわめて特異的な失語です。

超皮質性運動失語、超皮質性感覚失語、混合型超皮質性失語など細分化されていますが、

あまり出現頻度は高くありません。

復唱が良いと教科書に書かれているためか、若いSTの中には、

「この人は復唱が良いので超皮質性失語です!」と断定する人もいます。

私は「そう思ったらあと一晩考えた方が良いですよ」

「めったにお目にかかれないですよ」と再考を促します。

他の失語型も復唱って結構良かったりしますからね。

ちょっと逸れました…

全体的に症状が重い上に、私見ですがリハビリにも乗りにくいタイプで難渋した記憶があります。

状況判断ができると言っても、他の失語型よりは困難であったように思います。

例えば、皆で風船バレーをしているところに連れていき、

仲間に入れようとしてもきょとんとしていたり。

個人差もありますし、私が担当した方がたまたまそうであったのかもしれませんが。

 

次回はそんな超皮質性失語の方のエピソードです。

2019年4月12日 (金)

ある晴れた日に

こんにちは、はなこですヽ(´▽`)

はなこが住んでいる地域では、いままさに桜が満開!

良い季節になりました!

お花見を楽しまれましたか?

 

桜も終わると一気に植物が成長し、新緑が目に眩しく映えます。

職場の園芸部長を務めるはなこは、この季節が大好きなのです。

それと同時に、この時期に亡くなられたある患者さんを偲ぶのです。

今日はそのお話を。

 

少し季節が寒い時期にさかのぼります。

8年前の311日は、東日本大震災という、未曽有の大災害が起こりました。

たくさんの人が命を奪われました。

そして現在でも心身の痛みを抱えたまま懸命に生きる人たちが多くいらっしゃいます。

毎年この日になると追悼会や関連のイベントや特別番組など企画され、

犠牲者や被害者に思いをはせる機会をたびたび得ることができます。

 

私もそんな一人ではありますが、この日を迎えると必ずある患者さんを思い出します。

8年前、私は今の職場とは違う病院に勤めていました。

在宅分野にまだ関わっておらず、

回復期・慢性期病棟に入院中の患者さんたちを担当していた頃のお話です。

 

8年前の311日、私は回復期病棟に入院しているDさんを迎えに行きました。

Dさんはいつもなら時間前にNs.に「リハビリ室へ連れて行って」と頼み待機しているのですが、

その日はリハビリ室前にいませんでした。

珍しいこともあるものだと病室へ行くと、Dさんは食い入るようにテレビを観ていました。

画面には、今まさに津波が町に迫っているところが映し出されていました。

Dさんは私に気づくと、

「どうなっちゃうの?ねえ、どうなっちゃうの?」と泣き出さんばかりにうろたえて言いました。

とてもリハビリに行きましょうと言い出せる雰囲気ではなく、

「今日はお休みしますか?」と言うと、

「いや、待って、待って、ここにいて。怖い、怖いよ」

と私の手を掴んで離しません。

すると看護師がやってきて、

「地震のニュースがあってからずっとこんな調子で、様子を見に来た。

よかったらそばに居てあげて欲しい、他にも不安げな方々がいて対応しているので」

と私に告げました。

私は病室に丸椅子を持ってきてDさんの隣に座り、手を握りながらニュースを一緒に見ていました。

走っていた車が水に阻まれて立ち往生し、やがて流されていく所をみながら、

「ひどい、怖いね、どうなるの?助けられないの?」と、Dさんはずっとつぶやいていました。

「あの人達、死んじゃうの?」と。

 

もしかしたらあの日、他の様々な場所で同じような光景が見られたのかもしれません。

不安で手を握り合いテレビを見つめる。

もしかしたら涙ぐみながら。

どうにも励ましようがなく自分も呆然と見守るしかない。

そんな日でした。

 

なぜDさんのことをそんなにも鮮明に覚えているのか。

近来稀に見る大災害の日にたまたま顔を合わせたからというだけではない。

なんの前触れもなく、為す術もなく、

さっきまで元気だった人々が予期せぬ津波に飲み込まれて亡くなっていった。

命の儚さ、運命の過酷さというところに思い至ったとき、

Dさん自身もまた短い余命を宣告されていた方だったからなのだと、最近になって考えるのです。

Dさんのがんは脳浸潤し、言語野を蝕んでいました。

本人に余命宣告がすでになされていましたが、それでもDさんはリハビリを希望しました。

「ことばのリハビリ楽しいよ」といつもニコニコしていました。

いつも明るくスタッフとも冗談を言ったり、他の患者さんを励ましたりしていたDさん。

病状が進行するにつれ起き上がれる日が減っていき、輸血や点滴を行い、

意識も混濁することがあり、リハビリを休むようになりました。

 

ある日様子を見に病室を訪れたとき、Dさんは点滴を受けながら眠っているようだったので、

看護師と23言交わして病室を出ようとしたとき、

「せんせい」とか細い声がしました。

振り向くと、Dさんが目を開いて私を見つめていました。

Dさんは弱々しく苦しげに、声を振り絞って言いました。

「せんせい、あたし死にたくないよ、死ぬのが怖いよ、怖いよ」

 

その時の感覚をなんと名付けたら良いのか。

戦慄した、ということばが一番近いかもしれない。

 

その時、ふいに震災のニュースを一緒に見ていたときのことが思い出されたのです。

死を目の前にしながら、無情に命を奪われていく人々のニュースを聞くのはどんな思いだったろう。

明日も当たり前に生きて生活するはずだった人々の突然の死。

Dさんは私とは違う何かしらの思いを抱いていたのではないか。

余命宣告されてもなお明るく振る舞っていたDさんの本当の気持ちはこれだったのだ。

「怖い」

それに私は気づいていなかったのか、気づいていながらも見過ごしていたのか。

向きあおうとしていたか、向き合えていたか。

様々な考えや感情が頭と心をよぎり、私は混乱してしまいました。

  

その後、Dさんの意識レベルは低下し、目を覚ましていることがほとんどなくなりました。

リハビリも再開できないまま、Dさんは新緑萌える季節の早朝に亡くなりました。

 

担当した患者さんが亡くなることは無論しばしば経験します。

しかしここまで鮮明に心に残るのは初めてのことでした。

 

在宅分野に転職して、がんの患者さんと触れ合う機会はかなり増えています。

ご本人の苛立ち、苦痛、ご家族の動揺、不安

様々な状況をみて話を聞いて一緒に考え、その時を共有することは、

むしろ病棟勤務時代にはほとんどありませんでした。

そしてふと何かの拍子に、なぜだかDさんのことが頭をよぎります。

 

リハビリスタッフには、いまわのきわに何もできません。するすべがありません。

医師や看護師のようにそばにいられる機会もありません。

だから、考えます。

何かできると思いこむのはむしろおこがましいようにも感じてしまう。

その方の本当の気持は?自分にどのくらい理解できるだろうか?と。

余命いくばくもない方々と接するたびに、きっとこれからも自問自答を繰り返すのでしょう。

 

Dさんが旅立たれたのはちょうど今頃、緑が美しく萌え始める季節でした。

とても天気の良い日でした。

マンゴーがお好きだったDさん。

天国でたくさん味わっていられたらいいな、と思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年4月 1日 (月)

新年度スタート!~国試の思い出

こんにちは、はなこですヽ(´▽`)

平成31年度始まりました!

とはいえ「平成31年」を掲げられるのも新天皇のご即位まで。

今日は新元号「令和」の発表に沸きましたね!

ごくごく短いですが貴重な「平成314月」を大事に過ごしましょう。

 

さて、新卒のみなさんはドキドキしながらこの日を待っていたことでしょう。

326日。

言語聴覚士国家試験の合格発表です!

今年は合格率が低かったとか。

こんな記事を見つけました。

言語聴覚士の国家試験合格率68.9%!昨年より10.4ポイントの大幅ダウン|平成31年国家試験合格発表

https://www.pt-ot-st.net/index.php/topics/detail/958

PTOTはそれぞれアップダウンあったようですが、7割は超えていますね。

 

その年によっても問題が易しかったとか難しすぎたとか色々取り沙汰されますが、

それでもなぜかSTの合格率はずっと低いまま推移しているのですよね。

総じて難問が多いのか?

知り合いに言語聴覚士ですと自己紹介すると、

「すごい!狭き門なんでしょ!?」と言われることがあり、

全くそんなことを意識したことがないためキョトンとしてしまいます。

厚生労働省のHPへ飛んでみると、120200が合格ラインとのこと。

そうそう、私の頃もそうだった。

 

はなこは大学卒業してSTとして働いて数年間の経験を得た時点で、

ようやくSTが国家資格になり、記念すべき第1回目の国試を受けた世代です。

過去問とか何もなくとにかく手探りで勉強するしかありませんでした。

「専門学校出身でない現役のSTは臨床経験5年以上であることを条件に、

しかるべき研修を受けたのち受験資格が与えられる。

それは5年間のみ有効」という移行措置があったのです。

まあ研修を受ければ受験は出来るが、第5回目の国試までしか受けられないよ、

それでも受からなかったら国家資格もらえないよ、ということ。

仕事しながらの勉強はきつかったけれど、若かったからできたなあ。

今だったら多分無理だったでしょう。もう年寄りだし💦

10回開催の研修会に毎週日曜に参加し朝8時から夕方6時まで講義を聞いたり。

6割が合格ラインらしいよ、と聞かされても当時は噂レベルの情報でしたし、

どうやったら6割行くのかもさっぱりわかりません。

それでもなんとか滑り込めたおかげで、今こうしてSTブログ書けております✨

 

専門学校卒の人達とは環境が違っていたので、

勉強の仕方とか聞かれてもアドバイスしようにもできません。

ひさびさに自分の受けた国試を思い返すと…

 

基礎医学の方が点が取れたなあ。

専門分野は予想より取れなかったなあ。

以上。

 

ね?

アドバイスにならないでしょう?💧

 

しいて言えば、自力で勉強して分からないことにぶち当たったら、

友達と相談するのも良いですが必ず先生に聞きに行け、ということくらいでしょうか。

私たちの場合は分からないことがあっても的確に教えてくれる人が側にいなかったので、

これで正しいのか?と不安になる事柄がいくつもあり、実に難儀したものでした。

知識と経験のある先生に迷わず早めに聞きなさい、と言いたいです。

 

 

それにしても受験者数、3職種で母数が圧倒的に違う…

この上合格率低いとSTはずっと人手不足が続くなあ。

ともあれ新卒のみなさんも中堅も古株もよれよれのはなこも、

張り切って新年度スタートしましょう!

 

2019年3月22日 (金)

言葉のない世界の生きづらさ~若い失語症者Cくんの場合

皆様、明けましておめでとうございます!

豆まきしましたか!?

お雛様出しましたか!?しまいましたか⁉

3ヶ月分のご挨拶でした。

どうも、ご無沙汰いたしております、はなこですヽ(´▽`)

12月からなぜか月に一度は風邪をひくという、理不尽な目にあっております。

やっぱりトシですかねえ…

暖かくなってきてようやく復活の兆し。



さて、今回も失語症の話題ですが、失語症と言えば脳卒中後遺症というイメージが強いですね。

しかしてんかん発作や交通事故などの頭部外傷でも生じます。

そしててんかんや頭部外傷は大人だけではありませんし、若年性の脳血管疾患もあります。


今回もフェイクをまじえています。


Cくんは13歳の少年。脳梗塞で右片麻痺と運動失語になってしまいました。

リハビリに熱心で、装具を着ければ杖なしで歩け、

右上肢は実用性が無くても左手で身の回りのことは頑張ってこなしていました。

語想起障害と発語失行のため言葉はたどたどしいのですが、

コミュニケーション意欲がとても高くスタッフと冗談を言いあったりもしており、

Cくんがいるとその場がぱっと明るくなりました。

そんなCくんですから、スタッフや他の入院患者さんに可愛がられていました。


でもある時、「Cくんが大変だ」とスタッフが数人あわただしく外へ出ていきました。

近くの公園にCくんがいるらしいとのこと。

Cくんは号泣しながら動く左手で鉄棒を握りしめ、

動かない右足で地面をけり逆上がりをしようとしていたそうです。

そして「僕だってできるんだ」「なんでみんなとちがうの」「くやしい」など、

たどたどしく言葉の断片を少しずつ吐き出していたそうです。

よろけるたびにスタッフが止めようとしますが、興奮して拒絶し、

何度も何度も試みていたとのこと。

結局Cくんが疲れて動けなくなるまで、スタッフは見守るしかなかったそうです。


発達段階にある子供が途中で成長を阻害されるような事態に陥ると、

どんなに頑張ってリハビリをしても、周りの同年代の友達との間に大きな差が生まれてしまいます。

お見舞いに来てくれたらうれしい。

でも実際に会ってみると、数か月ぶりに会う友人たちは少し大人びていたり、

自分にはわからない学校の話で盛り上がっていたり、

もしかしたらいつの間にか彼女彼氏ができていたりする子もいるかもしれない。

そして何より、若い子供たちの話はくるくると次の話題へと転換していきます。

失語症のある子供には過酷なほどついていけないことが多いでしょう。

そんな違いを実感して、Cくんがこれまで抑えていた不自由さへの不満が爆発してしまったのです。


Cくんはその後どんなふうに成長しどんな大人になったのでしょう。

学校は?仕事は?今どんな生活をしているのでしょう。


若い失語症者には高齢者とは違う悩みがあり、

友の会などで交流しても何となく疎外感を感じることがあると聞きます。

そんな若い失語症者が集う会があるのをご存知でしょうか。

この流れが広く地域社会にも浸透し、悩みを分かち合う場が増えればと思います。

若い失語症者の集い http://www.geocities.jp/wakai_tudoi/page/idx_annai.html

※上記URL3月一杯で使えなくなるそうです。

2019年4月より http://tudoitokyo.g2.xrea.com/index.html



2018年12月26日 (水)

祝!Wedding

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12/9、華燭の典
花男くんが彼女さんとゴールイン。
終始にこやかな花男くん(院長いわく「にやついている」とのことでしたが
かわいらしい彼女さんも、リハビリ畑の方ですって。
和やかで、とてもよいお式でした。
末永くお幸せに

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