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2019年4月12日 (金)

ある晴れた日に

こんにちは、はなこですヽ(´▽`)

はなこが住んでいる地域では、いままさに桜が満開!

良い季節になりました!

お花見を楽しまれましたか?

 

桜も終わると一気に植物が成長し、新緑が目に眩しく映えます。

職場の園芸部長を務めるはなこは、この季節が大好きなのです。

それと同時に、この時期に亡くなられたある患者さんを偲ぶのです。

今日はそのお話を。

 

少し季節が寒い時期にさかのぼります。

8年前の311日は、東日本大震災という、未曽有の大災害が起こりました。

たくさんの人が命を奪われました。

そして現在でも心身の痛みを抱えたまま懸命に生きる人たちが多くいらっしゃいます。

毎年この日になると追悼会や関連のイベントや特別番組など企画され、

犠牲者や被害者に思いをはせる機会をたびたび得ることができます。

 

私もそんな一人ではありますが、この日を迎えると必ずある患者さんを思い出します。

8年前、私は今の職場とは違う病院に勤めていました。

在宅分野にまだ関わっておらず、

回復期・慢性期病棟に入院中の患者さんたちを担当していた頃のお話です。

 

8年前の311日、私は回復期病棟に入院しているDさんを迎えに行きました。

Dさんはいつもなら時間前にNs.に「リハビリ室へ連れて行って」と頼み待機しているのですが、

その日はリハビリ室前にいませんでした。

珍しいこともあるものだと病室へ行くと、Dさんは食い入るようにテレビを観ていました。

画面には、今まさに津波が町に迫っているところが映し出されていました。

Dさんは私に気づくと、

「どうなっちゃうの?ねえ、どうなっちゃうの?」と泣き出さんばかりにうろたえて言いました。

とてもリハビリに行きましょうと言い出せる雰囲気ではなく、

「今日はお休みしますか?」と言うと、

「いや、待って、待って、ここにいて。怖い、怖いよ」

と私の手を掴んで離しません。

すると看護師がやってきて、

「地震のニュースがあってからずっとこんな調子で、様子を見に来た。

よかったらそばに居てあげて欲しい、他にも不安げな方々がいて対応しているので」

と私に告げました。

私は病室に丸椅子を持ってきてDさんの隣に座り、手を握りながらニュースを一緒に見ていました。

走っていた車が水に阻まれて立ち往生し、やがて流されていく所をみながら、

「ひどい、怖いね、どうなるの?助けられないの?」と、Dさんはずっとつぶやいていました。

「あの人達、死んじゃうの?」と。

 

もしかしたらあの日、他の様々な場所で同じような光景が見られたのかもしれません。

不安で手を握り合いテレビを見つめる。

もしかしたら涙ぐみながら。

どうにも励ましようがなく自分も呆然と見守るしかない。

そんな日でした。

 

なぜDさんのことをそんなにも鮮明に覚えているのか。

近来稀に見る大災害の日にたまたま顔を合わせたからというだけではない。

なんの前触れもなく、為す術もなく、

さっきまで元気だった人々が予期せぬ津波に飲み込まれて亡くなっていった。

命の儚さ、運命の過酷さというところに思い至ったとき、

Dさん自身もまた短い余命を宣告されていた方だったからなのだと、最近になって考えるのです。

Dさんのがんは脳浸潤し、言語野を蝕んでいました。

本人に余命宣告がすでになされていましたが、それでもDさんはリハビリを希望しました。

「ことばのリハビリ楽しいよ」といつもニコニコしていました。

いつも明るくスタッフとも冗談を言ったり、他の患者さんを励ましたりしていたDさん。

病状が進行するにつれ起き上がれる日が減っていき、輸血や点滴を行い、

意識も混濁することがあり、リハビリを休むようになりました。

 

ある日様子を見に病室を訪れたとき、Dさんは点滴を受けながら眠っているようだったので、

看護師と23言交わして病室を出ようとしたとき、

「せんせい」とか細い声がしました。

振り向くと、Dさんが目を開いて私を見つめていました。

Dさんは弱々しく苦しげに、声を振り絞って言いました。

「せんせい、あたし死にたくないよ、死ぬのが怖いよ、怖いよ」

 

その時の感覚をなんと名付けたら良いのか。

戦慄した、ということばが一番近いかもしれない。

 

その時、ふいに震災のニュースを一緒に見ていたときのことが思い出されたのです。

死を目の前にしながら、無情に命を奪われていく人々のニュースを聞くのはどんな思いだったろう。

明日も当たり前に生きて生活するはずだった人々の突然の死。

Dさんは私とは違う何かしらの思いを抱いていたのではないか。

余命宣告されてもなお明るく振る舞っていたDさんの本当の気持ちはこれだったのだ。

「怖い」

それに私は気づいていなかったのか、気づいていながらも見過ごしていたのか。

向きあおうとしていたか、向き合えていたか。

様々な考えや感情が頭と心をよぎり、私は混乱してしまいました。

  

その後、Dさんの意識レベルは低下し、目を覚ましていることがほとんどなくなりました。

リハビリも再開できないまま、Dさんは新緑萌える季節の早朝に亡くなりました。

 

担当した患者さんが亡くなることは無論しばしば経験します。

しかしここまで鮮明に心に残るのは初めてのことでした。

 

在宅分野に転職して、がんの患者さんと触れ合う機会はかなり増えています。

ご本人の苛立ち、苦痛、ご家族の動揺、不安

様々な状況をみて話を聞いて一緒に考え、その時を共有することは、

むしろ病棟勤務時代にはほとんどありませんでした。

そしてふと何かの拍子に、なぜだかDさんのことが頭をよぎります。

 

リハビリスタッフには、いまわのきわに何もできません。するすべがありません。

医師や看護師のようにそばにいられる機会もありません。

だから、考えます。

何かできると思いこむのはむしろおこがましいようにも感じてしまう。

その方の本当の気持は?自分にどのくらい理解できるだろうか?と。

余命いくばくもない方々と接するたびに、きっとこれからも自問自答を繰り返すのでしょう。

 

Dさんが旅立たれたのはちょうど今頃、緑が美しく萌え始める季節でした。

とても天気の良い日でした。

マンゴーがお好きだったDさん。

天国でたくさん味わっていられたらいいな、と思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年4月 1日 (月)

新年度スタート!~国試の思い出

こんにちは、はなこですヽ(´▽`)

平成31年度始まりました!

とはいえ「平成31年」を掲げられるのも新天皇のご即位まで。

今日は新元号「令和」の発表に沸きましたね!

ごくごく短いですが貴重な「平成314月」を大事に過ごしましょう。

 

さて、新卒のみなさんはドキドキしながらこの日を待っていたことでしょう。

326日。

言語聴覚士国家試験の合格発表です!

今年は合格率が低かったとか。

こんな記事を見つけました。

言語聴覚士の国家試験合格率68.9%!昨年より10.4ポイントの大幅ダウン|平成31年国家試験合格発表

https://www.pt-ot-st.net/index.php/topics/detail/958

PTOTはそれぞれアップダウンあったようですが、7割は超えていますね。

 

その年によっても問題が易しかったとか難しすぎたとか色々取り沙汰されますが、

それでもなぜかSTの合格率はずっと低いまま推移しているのですよね。

総じて難問が多いのか?

知り合いに言語聴覚士ですと自己紹介すると、

「すごい!狭き門なんでしょ!?」と言われることがあり、

全くそんなことを意識したことがないためキョトンとしてしまいます。

厚生労働省のHPへ飛んでみると、120200が合格ラインとのこと。

そうそう、私の頃もそうだった。

 

はなこは大学卒業してSTとして働いて数年間の経験を得た時点で、

ようやくSTが国家資格になり、記念すべき第1回目の国試を受けた世代です。

過去問とか何もなくとにかく手探りで勉強するしかありませんでした。

「専門学校出身でない現役のSTは臨床経験5年以上であることを条件に、

しかるべき研修を受けたのち受験資格が与えられる。

それは5年間のみ有効」という移行措置があったのです。

まあ研修を受ければ受験は出来るが、第5回目の国試までしか受けられないよ、

それでも受からなかったら国家資格もらえないよ、ということ。

仕事しながらの勉強はきつかったけれど、若かったからできたなあ。

今だったら多分無理だったでしょう。もう年寄りだし💦

10回開催の研修会に毎週日曜に参加し朝8時から夕方6時まで講義を聞いたり。

6割が合格ラインらしいよ、と聞かされても当時は噂レベルの情報でしたし、

どうやったら6割行くのかもさっぱりわかりません。

それでもなんとか滑り込めたおかげで、今こうしてSTブログ書けております✨

 

専門学校卒の人達とは環境が違っていたので、

勉強の仕方とか聞かれてもアドバイスしようにもできません。

ひさびさに自分の受けた国試を思い返すと…

 

基礎医学の方が点が取れたなあ。

専門分野は予想より取れなかったなあ。

以上。

 

ね?

アドバイスにならないでしょう?💧

 

しいて言えば、自力で勉強して分からないことにぶち当たったら、

友達と相談するのも良いですが必ず先生に聞きに行け、ということくらいでしょうか。

私たちの場合は分からないことがあっても的確に教えてくれる人が側にいなかったので、

これで正しいのか?と不安になる事柄がいくつもあり、実に難儀したものでした。

知識と経験のある先生に迷わず早めに聞きなさい、と言いたいです。

 

 

それにしても受験者数、3職種で母数が圧倒的に違う…

この上合格率低いとSTはずっと人手不足が続くなあ。

ともあれ新卒のみなさんも中堅も古株もよれよれのはなこも、

張り切って新年度スタートしましょう!

 

2019年3月22日 (金)

言葉のない世界の生きづらさ~若い失語症者Cくんの場合

皆様、明けましておめでとうございます!

豆まきしましたか!?

お雛様出しましたか!?しまいましたか⁉

3ヶ月分のご挨拶でした。

どうも、ご無沙汰いたしております、はなこですヽ(´▽`)

12月からなぜか月に一度は風邪をひくという、理不尽な目にあっております。

やっぱりトシですかねえ…

暖かくなってきてようやく復活の兆し。



さて、今回も失語症の話題ですが、失語症と言えば脳卒中後遺症というイメージが強いですね。

しかしてんかん発作や交通事故などの頭部外傷でも生じます。

そしててんかんや頭部外傷は大人だけではありませんし、若年性の脳血管疾患もあります。


今回もフェイクをまじえています。


Cくんは13歳の少年。脳梗塞で右片麻痺と運動失語になってしまいました。

リハビリに熱心で、装具を着ければ杖なしで歩け、

右上肢は実用性が無くても左手で身の回りのことは頑張ってこなしていました。

語想起障害と発語失行のため言葉はたどたどしいのですが、

コミュニケーション意欲がとても高くスタッフと冗談を言いあったりもしており、

Cくんがいるとその場がぱっと明るくなりました。

そんなCくんですから、スタッフや他の入院患者さんに可愛がられていました。


でもある時、「Cくんが大変だ」とスタッフが数人あわただしく外へ出ていきました。

近くの公園にCくんがいるらしいとのこと。

Cくんは号泣しながら動く左手で鉄棒を握りしめ、

動かない右足で地面をけり逆上がりをしようとしていたそうです。

そして「僕だってできるんだ」「なんでみんなとちがうの」「くやしい」など、

たどたどしく言葉の断片を少しずつ吐き出していたそうです。

よろけるたびにスタッフが止めようとしますが、興奮して拒絶し、

何度も何度も試みていたとのこと。

結局Cくんが疲れて動けなくなるまで、スタッフは見守るしかなかったそうです。


発達段階にある子供が途中で成長を阻害されるような事態に陥ると、

どんなに頑張ってリハビリをしても、周りの同年代の友達との間に大きな差が生まれてしまいます。

お見舞いに来てくれたらうれしい。

でも実際に会ってみると、数か月ぶりに会う友人たちは少し大人びていたり、

自分にはわからない学校の話で盛り上がっていたり、

もしかしたらいつの間にか彼女彼氏ができていたりする子もいるかもしれない。

そして何より、若い子供たちの話はくるくると次の話題へと転換していきます。

失語症のある子供には過酷なほどついていけないことが多いでしょう。

そんな違いを実感して、Cくんがこれまで抑えていた不自由さへの不満が爆発してしまったのです。


Cくんはその後どんなふうに成長しどんな大人になったのでしょう。

学校は?仕事は?今どんな生活をしているのでしょう。


若い失語症者には高齢者とは違う悩みがあり、

友の会などで交流しても何となく疎外感を感じることがあると聞きます。

そんな若い失語症者が集う会があるのをご存知でしょうか。

この流れが広く地域社会にも浸透し、悩みを分かち合う場が増えればと思います。

若い失語症者の集い http://www.geocities.jp/wakai_tudoi/page/idx_annai.html

※上記URL3月一杯で使えなくなるそうです。

2019年4月より http://tudoitokyo.g2.xrea.com/index.html



2018年12月26日 (水)

祝!Wedding

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12/9、華燭の典
花男くんが彼女さんとゴールイン。
終始にこやかな花男くん(院長いわく「にやついている」とのことでしたが
かわいらしい彼女さんも、リハビリ畑の方ですって。
和やかで、とてもよいお式でした。
末永くお幸せに

2018年12月 2日 (日)

言葉のない世界の生きづらさ~感覚失語Bさんの場合

こんにちは、はなこですヽ(´▽`)。
どうもこのブログは改行が難しい。
詰まったり離れたり何なんだ!?
途中で変になっても気にしないでくださいね~


12月の勉強会で「失語症支援者養成事業」についてお話をさせていただくこととなりました。
今年3月5日の記事でも挙げていますので、どうぞご参照ください。
それに関連して、今回は失語症の話題。

今日は、感覚失語のお話です。
感覚失語とは、聴覚的理解が低下し、滑らかに話すものの内容が全く分からない発話をす
る、
というのが大きな特徴です。
別名ウェルニッケ失語とも呼ばれと言われて、どのくらいの方がその実際の症状を想像できるでしょう?
一番典型的な感覚失語像を挙げると、
・話しかけても返事をしない、あるいはしょっちゅう聞き返す。
・内容にそぐわない応答や反応をする。
・相手が話しているにもかかわらず、さえぎるように一方的にしゃべりだす。
・声が大きくまくしたてるように話し続け止まらないが、内容が分かりにくい。
・日本語に無いような単語らしきものが出てくる、同じ語が何度も出てくる。
・だらだらしゃべるものの「あれ」「それ」などの指示語が多く内容が無い。
こんな感じでしょうか。
特に後半の、脈絡もなくいろいろな言葉が組み合わさった意味のない発話をジャルゴンと
呼びます。
どういえばイメージしやすいか考えてみましたが…
よく、外国人とのやり取りに例えられますが、
「まったく日本語のわからない外国人が、日本人相手に『自分の言葉が通じないは
ずがない!!!』と信じ込んでいて、相手の困惑を全く気にも留めずに大声で流暢にまく
したてる」
という感じでしょうか。
例外はもちろんありますが、
「自分の話が通じていないことを自覚できない」という点が特徴的です。


一昔前、まだ失語症がどういうものなのかよく知られていない時代、
このような言動は精神病では…と誤解され、
感覚失語の方がしばしば精神科に送られたという話を、
はなこがSTになりたての頃に聞きました。
このタイプは病識が無いので、
「自分に障害がある」「自分の言語能力の問題である」とは考えられず、
「相手がわざと自分に分からないように言っている」「相手に問題がある」
と捉えることがしばしばあります。
通じない、理解できないと苛立って激昂したり…
ですから、トラブルを起こすこともあるのです。
失語症についての知識を得て長年この仕事に従事してきた現在では、
聴覚的フィードバックが機能しておらず自分の発話の内容のなさを自覚できない、
それゆえ病識にも乏しくなるとか冷静に考え、ある程度対応することはできます。
耳からの情報が入ってきにくいので書字をして見せて視覚的に入力して理解を促すなど。
しかし知識のない一般の人々はどうでしょう?
このような症状を呈する方に出会うと非常に驚くのではないでしょうか。
あまりに早口に畳みかけるように話すため、
「怒られているのか…もしかしたら危害を加えられるかも…」と恐れをなす方もいます。
そして失語症当事者は、
「自分に会う人が皆変な表情で自分を見ているのはなぜ?」
「この人はなぜ自分に分からないような話し方をするのか?」
とストレスをためていく。
そんな悪いループに陥ってしまうことが度々あるのです。


50代後半のBさんは、ある日久々に会った夫に包丁で切りかかりました。
入院生活が長引いて離れ離れの生活を送る中で、
「夫が来ないのは浮気をしているからではないのか?」と疑ったのです。
実際は慣れない家事と仕事で忙殺されていたのですが、
電話で声だけ聞いていても何を言われているかわかりません。
Bさんの日ごろのコミュニケーションの状況は、
文字などを提示することでようやく相手の意図がくみ取れる状態であり、
発話はジャルゴンで夫にも理解してもらえません。
(本語がしゃべれない外国人と電話でやり取りすることを想像してみると、
少しは実感がわくのではないでしょうか。)
Bさんは自分が失語症であることをある程度は理解できていました。
会えない上、電話でもやり取りできず、自分ひとり他人の中に放り出されている。
被害妄想を抱いても仕方がないかもしれません。
リハビリ中に会話をしていて危うさに気付いたセラピストが話を聞き、
誤解を解こうとカウンセリングをすすめていた矢先の出来事でした。
幸い夫婦とも怪我はありませんでしたが、夫の受けた精神的ショックは大きかったでしょう。
それ以降はなるべく時間を作っては見舞いや外泊など行うようにしたそうです。


これは決して極端な例ではないと思います。
はなこがお会いした失語症の方の中で、
感覚失語の方が精神不安定になるケースが多かったように思います。
ですからなるべく相手の意図をくみ取りたいという姿勢を、
常日頃から明確に示すように心掛け、ラポートを形成する努力をしてきました。
しかしそれでもうまくいかないことが多く、私たち言語聴覚士も苦悩します。
そしてさらに思うことは、
苦悩しながらも、諦めてはいけない。
私たちが諦めたら失語症当事者に寄り添うことはできません。

2018年10月24日 (水)

お久しぶりです!
花男です!

いつのまにブログストッパーになっていました( ´∀` )

申し訳ない…
今年は登山にはまっていまして、
10月初旬に韓国岳に登ってきましたー
大浪池登山口から韓国岳まで約8km
最後の2kmは木段が1000段以上もあるルートです 
画像は山頂から見た
大浪池と
白煙をあげる新燃岳と高千穂嶺です
登山はきついものではありません(o^-^o)。きっと…
楽しめる要素がいっぱいあります。
是非、興味がある方は登ってみてください
絶景が待ってますよー(*^.^*)

2018年8月20日 (月)

真夏の訪問

こんにちは、はなこですヽ(´▽`)
毎日暑い日が続きますね~
今年は殺人的な暑さだと、連日ニュースやワイドショーでも騒いでいますね。
しかし大げさでも何でもなく、
「本当に死にそうだよなあ、アハハハハ
( ̄▽ ̄)

と少々狂い始めているはなこでございます。
訪問に出る際車に乗り込もうとドアを開けた時の、あの熱気。
目玉焼きは無理でも温泉卵くらいできるだろう。
窓全開で走っても、シートの熱さはしばし変わらず。
温まっているという表現は、それこそ手ぬるいわ。
真冬なら大歓迎なんだが。
しかし乗って運転しないわけにいかないので腹をきめて出発。
あれ…?
何故かしら、意識が朦朧としてきた…
あらっ、猛烈に眠気が…
あああ。しぬー…
…こういうことが今年はしばしばあるのです。
さすがに「本当に死ぬんじゃないか?」と恐ろしくなってきます。
それで、いくつか対策を講じてみました。

その1:助手席のドアを開けて運転席側のドアを大きく開閉(5~10回)
数年前にテレビで見た方法。
熱い空気が効率よく逃げるんだそうな。
何度か試したところ、確かに若干は良いかもしれない。
でもシートは熱いままなので、今年の暑さにはこれでは間に合わぬ。
そして何より周りの目が結構気になる。うるさいし。
完全に閉じなくてもバタンといく手前で止めればいいとか言うけれど、体力使う…

その2:濡らして振ると、気化熱で冷感が得られるというタオルを首に巻く
借りて短時間のみ使いました。
当たり前だが濡れる。服が。
車内で温まってしまっても、振れぬ。
却下。

その3:古典的だが窓全開&外気取り込みモード(強)
これもテレビでやっていた。
熱気を出すにはその1よりこちらがよい。併用すればなおよい。
しかしシートは熱いまま。
(しつこいようだが熱いシートに温められて、
もとい焙られて運転するのが危険だと今年は感じているのでここは重要。)
灰が降ったらお手上げ。

その4:素直に冷たいものを携帯する。
より古典的な方法。
小さめの缶コーヒーで、飲み口が広くてキャップ式になっているものがあればゲット。
以前から流涎の多い方のアイスマッサージ用に使っていたのですが、
今年は自分用だ~
これに氷を入れて、さらに塩を入れるのです。
そう、昔理科で習いましたね。
塩の凝固点降下作用を利用して、普通の氷よりもさらに温度の低い状態にしちゃおうと、
耄碌しかかった脳をフル回転させて乏しい知恵を絞った!!
氷は口までいっぱいに詰めてきっちり蓋をして、
ペットボトル飲料のおまけに付いていたボトルカバーに入れて、
首に当てたり腋下にはさんだり、動脈を冷やすようにします。

その結果!

これがいちばんしゃっきり目が冴えたのでした!!

もちろんこれも溶けてしまうし、時間がたてばぬるくもなります。
しかし、2時間半くらいは使用に耐えますよ!!
ケーキなどについてくる保冷剤も試しましたが、30分でただのスライムです…

難点は、一番暑い午後にフルで活用できないことと、
氷を結構消費してしまうことですね。
いっぱい氷が冷蔵庫にある時は活用させていただいております。


ほかの皆さんはどういう工夫をしているのでしょう?
「これお勧め!」と言いうネタがありましたらぜひ教えてください!
ヽ(´▽`)

2018年6月20日 (水)

吉報

こんにちは、はなこですヽ(´▽`)

更新止まってるわ~

次ははなたろうくんの番なのですが。

でも仕方ない。

先日、はなたろうくんの奥様が赤ちゃんを出産されました!

おめでとう、はなたろうくん!

はなたろう妻さんとはなたろうJr.を支えるべく、はなたろうくんは頑張っています。

でもまたいつか記事書いてね?書くよね??( ̄ー ̄)ニヤリ

2018年5月16日 (水)

言葉のない世界での生きづらさ~Aさんの話

こんにちは、はなこですヽ(´▽`)

ん?

前の更新はいつだって?

知らんがなヽ(´▽`)

超開き直りモードに突入。

気がついたら新年度だし目が覚めたらGW終わってるし。

まあ~時の経つのは速いものねぇ…(*゚▽゚)ノ

…怒られそうなので本題へ。

前々回の記事で失語症者支援のお話を書きました。

世間の健常者は、

「言葉がしゃべれないって不便よねえ…」くらいの認識だと思います。

責めているわけではありませんよ。

実のところ、失語症者に接する機会の多い私たちSTも、

同じようにしゃべれない辛さというのは想像するしかないのです。

どのくらいの生きづらさを抱えているか、実感として捉えることはできません。

逆に言えば、客観的にみているからこそ支援ができると考えることもできます。

当事者と同じ辛さにどっぷりと浸ってしまったら、

苦しさのあまり身動きが取れなくなるかもしれません。

こんなケースについて聞いたことがあります。

(個人が特定されないよう、少々フェイクをまじえています。)

Aさんは70代男性。

重度の運動失語で自発話はほとんどなく、単語の復唱がやっと可能なレベル。

複雑な文の理解は困難ですが、日常会話は理解でき、

状況判断力もあります。

片麻痺があり、装具を付けて歩行可能です。

奥様と娘さん一家と同居していました。

ある日、Aさんが一人で家にいるときに同居のお孫さんの同級生が数人訪ねてきました。

そのうちの一人が言いました。

「○○君のクラスメイトです。○○君に言われて本を取りに来ました」

平日の昼間。

まだ学校で授業をしている時間じゃないのか…?

変に思いながらも彼らを家にあげました。

お孫さんの部屋に入り目的のものを持って、その日彼らは帰りました。

夕方帰宅したお孫さんにこういうことがあった、と話したくても話せないので、

気になりながらも黙っているしかありませんでした。

そして次の日、また彼らはやってきました。

「○○君に言われてラジカセを取りに来ました」

やはり日の高い時間帯。おかしい。

孫が友達を使い走りにするだろうか…?

いぶかしく思いながらも、失語のあるAさんには問いただすことができません。

彼らは目的のものを持って行きました。

それからも数回そんなことがあり、バット、ゲーム、色々な物を持っていかれました。

Aさんは不安になりながらも何もできませんでした。

そして、たまたま奥様が在宅の時に彼らが現れ、

何しに来たの?まだ学校のある時間でしょ?

名前は?クラスは?など問いただしたところ、逃げ帰ったとのこと。

その日の夜、奥様が娘さんにその話をし、

娘さんがお孫さんと一緒に部屋を確認すると、

彼らが持って行ったものは返されないまま無くなっていたそうです。

そこでお孫さんに対するいやがらせ(いじめ)が発覚。

奥様にこれまでにもこういうことがあったの?と訊かれて初めて、

Aさんはそうだ、と伝えることができたのです。

お孫さんが災難にあっていることに薄々感づいていながら何も言えず、

逆に黙認するような形になってしまった罪悪感はいかばかりだったでしょうか。

Aさんは週に2回外来でリハビリを受けていてSTと会う機会もありました。

もっとも言語症状について理解している相手にすら、伝えることができなかったのです。

ご家族から聞かされたSTがリハビリの時にじっくり話を聞いてみた時に、

奥様が言ったように「何しに来たの?」とか、

「(孫が持ってこいと言ったのは)本当か?」とか、

一言でも自分も言えたら良かったのに、

とAさんは涙ぐまれたそうです。

そしてAさんの心配事に気付いてあげられなかった、と、

担当のSTも深く落ち込んでしまったとか。

失語症当事者の周りの方が、

「話せなくなったなら話さなきゃいいじゃない」

「私たちが代わりに通訳してあげるよ」

等と口にするのをしばしば耳にします。

家にこもっていれば誰とも会わずに済むし…と。

しかし、実際はそんな単純なものではありません。

家にいながらもAさんのような目にあうこともあるのです。

失語症者支援の話題が出るたびに、この話を思い出すはなこでした。

2018年3月 9日 (金)

鹿児島マラソンに出ました

こんにちは!

ブログストッパー...ではない花男です!

1月に、はなこさんがはなたろうさんに「ブログの更新を早めにお願いしま~す」と言っていたのを懐かしく思い出します。はなこさん、もうはなたろうさんに「ブログを早く書いて下さい」なんて言えなくなりましたね( ´∀` )

はなこさん、あなたも立派なブログストッパーです!(笑)

ブログ更新に関しては、これからは僕が2人に厳しく言っていくしかないようです(`ε´)

 

さて、2,3月は僕が楽しみにしていたマラソンがありました!

2月は人吉温泉春風マラソン、3月には鹿児島マラソンに出場しました。

昨年以上に練習に取り組み、心を鬼にして挑みました。

その結果がこちら!

 

平成30年2月18日(日) 人吉温泉春風マラソン

ハーフマラソンの部

タイム:1時間34分46秒

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自己ベストです!感無量( ;∀;)

1時間45分を目標にしていたので10分も速くゴールできるとは思わなかったです!

天気もよく応援も地元の方がたくさん来られ賑わっていました!

また参加します!

 

平成30年3月4日(日) 鹿児島マラソン

フルマラソンの部

タイム:3時間57分29秒

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きつかった…ただその一言です。

この日は気温が20℃を越え大量の汗をかき20kmで足がつってしまい、後半は大失速でした。足がつるなんて初めてで慌ててしまいました。

暑さ対策ができず目標の3時間40分はきれなかったですがなんとかサブ4は達成。

しかし天気が良くたくさんの方が応援にきてくれてました!

応援がなければもっとタイムが遅かったと思います(^-^;

応援してくださった方々、ありがとうございました!

 

作業療法士の方が写真を撮りに来てくださったのですが、見つけられずすいませんでした(。>0<。)

 

来年も出ます!

次こそ3時間40分切りを達成します!あわよくば3時間30分切りを!

 

次は5月にある南日本クロスカントリー大会に向け頑張ります。

 

たまにはSTっぽい記事も書かないとですね(笑)

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